
まことのクリスマス
クリスマスの本当の意味を理解するにあたり、創世の時代までさかのぼってみましょう。
神は、息子のアダムのために美しい天と地をお創りになりました(ルカ3章38節、創世記1章1節-3章24節)。アダムは、父である神の姿を映して創られました。父なる神は、地上と空にありとあらゆる生き物をお創りになり、それらの生き物をアダムに連れてこられました。アダムが名を付けることができるように。
地上には、見た目にたいへん美しく、また食べ物としてもとても美味しい木々が育ちました。このときには病や苦しみや死というものがなかったのです。神はエデンの園にアダムを置かれ、身にまとうものを与え、そこにアダムをずっと置いておくつもりでした。
神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2章16-17節)
神は言われました、人が一人でいるのはよろしくないと。そこで、アダムに深い眠りを与え、熟睡しているところでアダムのあばら骨を一本取ると、アダムの妻となる女を創られました。アダムはエバと名付けました。神にすべてを与えられたアダムとエバは、楽園に住んでいました。まさに、地上の天国だったのです。
さて、そんなエデンの園に一匹の蛇がすんでいました。この蛇はただの蛇ではありませんでした。サタンが蛇の姿を借りていたのです(黙示録20章2節)。サタンは、また誘惑者や悪魔としても知られています。邪悪なるものと反抗心が形をなしたものでした。
蛇はエバを誘惑し、言いました。
「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」(創世記3章4-5節)
エバがその果物を見ると、とても美味しそうで、見た目もよいではないですか。エバは食べてしまいました。そして、その果物をアダムへと持っていくと、彼も食してしまったのでした。こうして禁断の果実を食べることにより、アダムは人類が堕ちていく始まりのきっかけを作ったのでした。神は、アダムとエバをエデンの園より追放しました。そして地上には病と苦難と死が訪れたのでした。神への反抗が病と苦しみをもたらしたのでした。
アダムとエバの過ちにもかかわらず、神は人類への愛をお捨てにはなりませんでした。神が人類のために計画された楽園を取り戻すために救世主をお送りになると約束されたのです(創世記3章15節、ローマ人16章20節)。
何世紀もの間、預言者たちは人々を罪から救い楽園を取り戻す救世主の到来を語っていました(イザヤ書7章14節、マタイ6章10節、へブル人9章12節、黙示録21章4節)。およそ2千年前にその予言は成就され、処女マリヤが精霊により男の子を身ごもりました。この子供は、天の言葉の再来であり、神のたったひとりの子供であり、この世に遣わされたのでした(ヨハネの福音書1章1-14節、3章16節、8章23節、コリント人15章47節)。
「ことばは人となって、私達の間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」(ヨハネ1章14節)
精霊により身ごもったマリヤはその時ヨセフと婚約していました。ヨセフはマリヤを妻に迎え入れ、赤子としてのイエスが生まれるまで彼女を知ることはありませんでした。
そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストスから出ました。これは、クレオニがシリアの総督であったときの最初の住民登録でした。それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行きました。
ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行きました。町は混雑しており、宿屋には彼らのいる場所がなかったので、厩に行きました。マリヤはそこで初子を産み、飼葉おけに寝かせました。ベツレヘムでは、羊飼いたちが羊の群れを見守っていました。すると、突然主の使いが彼らの前に現れ、こう言いました。
「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせにきたのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
すると、たちまち、その御使いたちといっしょに、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」(ルカ2章10-12節)
人類に対する神の大いなる愛は、神のひとり子の誕生を通してあらわされました。救い主の出現という約束が、今かなえられようとしていたのです。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3章16―17節)
神の御子のみがこの世を救うことができるのです。そして、それは神の御子の血をもってして贖われました。イエスは十字にかけられましたが、死に打ち勝ち復活したのでした。イエスの復活を毎年イースターで祝います。
「やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。」(へブル人9章12節)
皆、アダムとエバのように選択を迫られます。イエスに従いいのちへと導かれるか、悪を選びサタンに従うかです。その道は死に通じます。イエスを選ぶことにより、私達は生まれ変わるのです。神の地上の息子である、恵みより墜ちたアダムとの絆を断ち切り、天上の息子であるイエスとの絆を結ぶのです。
「罪のうちを歩むものは、悪魔から出たものです。悪魔は最初から罪を犯しているからです。神の子が現れたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。」(ヨハネ第一3章8節)
イエスは永遠の御世である王国をこの世に作られました。イエスに続く人々は、イエスの教会です。
「ピリポ・カイザリヤの地方にいかれたとき、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々は人の子をだれだと言っていますか。」彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もありますまたほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。では私もあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を立てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。」(マタイ16章13-18節)
イエスは病に悩み、苦しみを抱いている人々に手を差しのべるよう呼びかけます。
それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。
また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。
そのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」(マタイ9章35―38節)
毎年12月25日、イエスの誕生が祝われます。それは、皆にとっても大変喜ばしい日であります。